中立公平であることを放棄する裁判所

民法877条により扶養義務をある婚外子が新たに生まれたことによって、婚姻費用減額を求めた審判例での全く相反する裁判例が2つある。

 

ひとつは、名古屋高等裁判所平成27年(ラ)第442号による決定。

その決定では、

婚外子は嫡出子と同等に扶養を受ける権利がある』と至極当然の説示をし、

標準的算定方式を婚姻費用の算定に合理的であるととした上で、婚外子、嫡出子を、等しく考慮し取り扱った上で、婚姻費用の分担額を定めた。

なお、原審判、岐阜家裁中津川出張所平成27年(家)第76号においては、『非嫡出子の養育費を考慮することは不貞行為を追認するに同然である』とし、婚外子の平等な権利、福祉を十分に考慮したとはいえない判示を行っている。これが、抗告審で取り消されたことは極めて当然で妥当であるように思われる。

 

一方、大阪高等裁判所平成29年(ラ)第1204号(裁判官 河合裕行 裁判官 濱谷由紀 裁判官 丸山徹)においては、原審、京都家庭裁判所平成29年第1237号、第1238号(裁判官 松井千鶴子)と同様に、

『不貞行為の及んだ結果、婚外子が生まれたことを含む一切の事情を考慮して、婚姻費用の算定において、3人の婚外子の生活費を考慮すべきではなく、婚外子の嫡出子と同等に養育を受ける権利を侵害し憲法14条1項違反とはいえない』と判示している。

 

結局のところ、名古屋高裁で判断をうけていたなら、婚姻費用の算定に当たり、婚外子の生活費は幸運にも考慮されおり、

阪高裁で判断をうけていたために、婚外子の生活費は不運にも考慮されず、その婚姻費用の金額の差は概ね倍である。

同じ日本の中で、裁判を受ける高等裁判所、裁判官が違うだけで、全く相反したとしか言いようのない判断をうけ、それによって実質的に大きな利益ないしは不利益が現実に生じている。

 

この現状は、公平中立である裁判制度が、運不運によって明らかに左右されていることを如実に示すものであろうし、合理性がなく、ありえないことであろうが、依怙贔屓にも見え、相手方のみが代理人を立てており、その弁護士に対する『忖度』『便宜を受けるなどの事情』が裁判所内で存在しているのではなかろうかという疑いすら、一般人には想像されなくもない。

レベルの低い話であるが、家裁、高裁が、誤った事実主張、合理性のない主張でも、代理人弁護士の意見をコピーアンドペーストの如く取り入れる傾向はあきらかに強いようには思われる。

 

さらには、あきらかに相反した裁判によって、実質的にも結果が大きく異なっているにもかかわらず、

許可抗告を申し立てるも、大阪高裁はこともあろうか『許可抗告の事由に該当しない』と決定している大阪高裁平成29年(許ラ)第405号)(裁判長裁判官 河合裕行 裁判官 濱谷由紀 裁判官 丸山徹)

この判断については、国民の立場が何らかの『悪意の存在』を疑ってもやむを得ないであろう。

 

また、最高裁においても、大阪高裁決定で「憲法第14条に違反しないという」判断を行っており、それについての異議を特別抗告に申し立てているにも関わらず、「憲法違反を主張するものではなく、特別抗告の事由に該当しない」として、特別抗告を棄却した(最高裁判所平成30年(ク)第242,第243)。

「婚姻費用の算定において、婚外子が嫡出子と同様に扱われていないという、差別的取り扱い」について、合理的思考のできる国民であればまず明らかに『憲法第14条第1項違反』であろうと考える事象を、取り上げず判断しないことで回避しているのだ。

 

裁判所は法に照らし、判例に照らし、厳正で中立公正であることを捨てて、なにを守ろうとしているのか?

平成25年前件審判にて、そもそも民法877条に反し婚外子の扶養の義務を無視したまま婚姻費用を定めたのは、弁論主義によるものではなく、後見的立場である裁判所である。その民法877条に反する判断を維持するために、民法880条を理由にすると言うのは著しく不当であろう。明確に民法877条に定められた婚外子の当然嫡出子と等しい扶養受ける権利を、そもそも、合理的な理由なく過去に裁判所が民法877条に反した裁判を行っており、その判断を正当化するためだけに民法880条を理由にするのは到底正当、正義であるとは言えないだろう。

合理的な説明が十分にできないまま、明らかに法律に反し、更には整合性のとれない同類事件に対する裁判所の判断さえあっても、特殊事例とはいえ国民から理解を得られ難い裁判を裁判所が放置するのは、裁判所による法に則った国家秩序の破壊行為と言っても過言ではないのではなかろうか?