人生における避け得ない理不尽、人間裁判官がもたらす理不尽

 裁判官は、合理的根拠もなく、ごまかし、紛らわすことによって、構築された説示によって、判断を下すことはやめるべきだろう。裁判官がそんなことをするはずがないというより、そういう裁判官のほうが一般的なのではなかろうか?極めて多忙な業務であって、裁判を受ける側を十分に納得させることは不可能であろうし、そもそも、受け止める側のバックグランドは当然に多彩であって、理解力等の問題で、そもそも納得を得ることが不可能である事例が多数存在するであろうことも想像がつく。

 しかしながら、そのような状況を逆手に取って、現在では、平均的な国民が到底納得できないような判断を、理由にならないデタラメな言葉をつなぎあわせた文章を正当な理由であると断言することで正当であるとする裁判がまかり通っているのではなかろうか?

 神というべきか、運命によって与えられた死に至る病に突然に侵される理不尽と状況によっては同程度の否それを超えるほどの理不尽さを人間である裁判官が、法律が人生を壊す、人間を壊すのではなく、人間である裁判官が社会への不満や憎悪を増幅させたり、裁判官自体が自らの裁判の法律に基づいたものとはいえず、非合理性を潜在的に意識しており、その不正な裁判によって、他人やその人を取り巻く人生を破壊する原因の大きな一因となっていることは稀なことでもないだろう。

 

 裁判官はその人格によっては、極めて罪深い存在でもあろう。彼らは法律を逸脱した行為を裁く存在であると同時に、その裁きにおいて彼ら自身が法律を逸脱することも頻繁に起こっているだろう。

 その裁判に持たされれる理不尽さによる怒り、悲嘆、絶望は、裁判官が、理不尽にも命を奪いかねない病に侵されたときに初めて実感できるものなのではなかろうか?

 人生は理不尽さ不確実さに満ちている、裁判官の人生も、当然に彼らに都合よく一切の事情を考慮されるわけでもなく、突如訪れる理不尽さに破壊される可能性は、すべての国民と当然に等しく存在する。